陸前高田市の今 20161014午後(前編)
県立高田高校 県立野外活動センター 災害公営住宅 土埃 激震 東日本大震災 石巻市立大川小学校 鹿折地区 気仙川 唐桑半島 気仙沼市 月命日 本吉町 JR大船渡線陸前高田駅 風の丘 岩手の湘南 巨大堤防 復旧工事 老母 陸前高田市 波飛沫 デーサービス タピック45 三陸道 雇用促進住宅 映画館 千昌夫 ヨコミー 東京大空襲 岩手日報 キャピタルホテル1000 国道45号 湖岸の宿 オートキャンプ場
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
未明から冷たい雨が降り、時折風の音も聞こえていたしたが、今は静かに小雨が降っています。
先ほど、同報無線の広報等から、「今日は防災を考える日です....」と市からのお知らせ。
そう、今日は11日です。東日本大震災の月命日。そして、同じ金曜日。5年8か月が過ぎました。
3月10日、東京大空襲の日、そして陸軍記念日が誕生日だったヨコミー。その10日は所用でお休みで、前日、職場の仲間からお誕生会をして頂きました。確か、昼休みだったはず(^_^;)
そして出勤した11日、平穏に午後2時半を過ぎて間もなく、今まで経験したことがない激震に襲われたのです。
そういう訳でもないのですが、今日は旧・石巻市立大川小学校を見に行く予定でした。
丁度小雨で、同校裏山も濡れているだろうし、再びあの地に立って、ヨコミーが校長なら、教頭なら、主任の先生なら......と、脳みその無い頭を、いろいろと絞ってみたかったのです。
旅行パターンは、鳴子峡へ行ったのと同じパターンで、一工程(この字でいいです(^_^;)6時間半。老母をデーサービスへ送り出してからの、出発予定でした。
なのに、母は今日は行かぬと(>_<) なんだべねぇ...。
母は口が悪いのです。なんせ、ヨコミーの母親ですから(*^_^*)
デーから帰ってきて、よく、「丸々さんはいつも寝てばかりいる...」と、デー仲間の悪口を言うことがあります。
母は、割と元気でしたし。まあ、口が一番元気(^_^;)
昨日はデーで検診があり、予定外の出勤(!?)だったために疲れ、今日は行く元気が無かったのでしょう。
息子にしてみれば、デーに行って寝ていたらいいべに.....と思うのですが、寝てばかり居るデー仲間をけなしていた手前、行く訳には行かないのでしょうね。
老母さま、他人には他人のご都合があるのですよ(*^_^*)
ヨコミー思うに、その方は、家族が特養に入れたいと思っているけど空きが無く、ショートさえも難しく、仕方なくデーで繋いでいる方かもしれません。
我が老母さまは、まだまだお勉強が足りないようなので、卒業は更に先のことでしょう(^_^;)
前置きが長くなりました。すみません。
まあ、東日本大震災の月命日絡みでという訳でもありませんが、地域を離れている方や、まだ関心を持たれている方に向けて、先月の写真になってしまいましたが、ご紹介します。
復旧工事は、どこでも急ピッチで進められていますが、見た目には地道な進捗状況なので、お許し願いますm(_ _)m

10月14日は所用があり、午後から陸前高田市のキャピタルホテル1000へ行って来ました。
このホテルは、震災前は、海水浴場から500mほど離れた、国道45号の南(海)側に建っていました。
その昔は、月毎に各国の料理の夕食会が開かれ、以前住んでいた鹿折からは車で30分の距離のなので、ヨコミーも時々行ったものです。
陸前高田市出身の歌手・千昌夫が出資して建てた(「千」=1000)のですが、その後経営不振に陥り、第3セクターになっていました。
15年間程、岩手日報(隣県の新聞)の読者でしたが、経費削減で購読を止めてしまったので、現在も3セクか否かは不詳(-_-)
大津波で被災した上に、離れていた海が敷地脇まで押し寄せ、湖岸の宿ならぬ、波飛沫に洗われる宿となってしまいました(>_<)
今は北側の小高い丘の上です。
この丘から、復旧工事が進む陸前高田市の沿岸部をご紹介します。

ホテルの裏側から。真東は写真左端。
中央に見えるリゾートホテルのような建物は、市営住宅です。多分、震災後に建てられた災害公営住宅でしょう。
丘の左端にちょっとだけ見える建物は、震災前からあった老人施設。手前に広がるビニールハウスでは、何を作っているのでしょうか。
右奥に見えるのは広田半島で、山は仁田山(にだやま)。オートキャンプ場があります。
右端に見えるのは、被災した国道45号沿いの雇用促進住宅。ここは、あとで。

ホテルの表側から。正面の旧・雇用促進住宅が凡そ南南東。盛土があちこちに見えます。

1つ上の写真の、中央付近を拡大してみました。中央に見えるのは水門。上の海と似た色なので、判別は難しいですが、水門の右手に巨大堤防が伸びています。
旧・雇用促進住宅の2階から右に見えるのは.....、こんなところに大きな沼が有ったっけが...???と思っていたら、現場を覆う壁でした(^_^;)

2つ上の写真の右隣です。中央やや左が真南。左上の岬は唐桑半島。中央から右手の山を越えると、ヨコミーが住んでいた気仙沼市鹿折地区です。
堤防が左右に走っていますが、真ん中から左は盛土の陰になっています。

更に右側です。中央が西南西。
遠くに靄が掛かっているようなのは、春霞ではありません。10月です。空気は澄んでいるはずなのに.......。そう、土埃(>_<)
中央から右に広がる土地は何なのでしょう。
あっ、ここでも発見です。防風(防砂?)ネットが一部まくられています(>_<) ヨコミー宅裏と同じ(^_^;)
防砂ネットでも防球ネットでも、張るための製品なのですが(>_<)

更に右隣です。
何か不思議な広場だなぁと思ったら、ひょっとしたら写真右上の高台にある、県立高田高校の代替グラウンドかも。同校校庭には、確か仮設住宅がありましたので。
この方向、震災前は、国道45号の北側に広がる住宅地や、JR大船渡線陸前高田駅、商店街、市役所、市民会館等がごちゃごちゃと在りましたのに......(>_<)
震災前に映画館はつぶれていましたが、当時、既に気仙沼の映画館は全て無くなり、最寄りの映画館がここでした。
駐車場が小さいので、車は市民会館に何度もお世話になりました(^_^;)
確か「十五番」といった喫茶店が駅前通に。デートコースでした。
そして市民会館に近い角にあった、明るい喫茶店。チョココーヒー??とかいう美味しい飲み物がありました。今はどこに行ったのかな.......。

1つ上の写真の、中央から右手半ば辺りまでの拡大です。あちこちで土埃が舞っています。
平地の奥、山の麓の工事ですが、なにやら怪しいです。水平に延びています。ひょっとしたら、市街地の西から北を通る三陸道の工事かもしれません。気仙沼市唐桑の北部で沿岸に出るコースなので、ここに続きそうです。

更に左隣です。山を3箇所崩しています。やはり、真っ直ぐなものを作っているようです。
市街地の西側を流れる気仙川は、麓の手前を右から左へ流れているのですが、堤防のためか見えません。

更に左隣です。
左端に見える三角の建物は、道の駅のタピック45。国道45号の南(海)側にありました。被害から直ったのかなぁ.....。

更に左隣です。
左端は、気仙川の川口に隣接する水門です。
東西に走る高田松原の後背地には、凡そ東西に広がる、確か古川沼という沼があり、ヨコミーは小さな時、そこでボートに乗った記憶があります。その沼の水位を守る水門でしょう。
沼の北側は埋め立てられ、県立野外活動センター等が在りました。三角滑り台に似たタピックの向こうに野活の本館が、右にはテニスコート、左にはテント泊が出来る芝生が広がって、沼ではボートを漕いでいました。
そう、陸前高田市は岩手としては割と暖かく、「岩手の湘南」だったのでした(>_<)
あっ、背筋を伸ばしてコーヒータイムです。終わったら、昼食の後片付けです(^_^;)
では、つづく。(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
未明から冷たい雨が降り、時折風の音も聞こえていたしたが、今は静かに小雨が降っています。
先ほど、同報無線の広報等から、「今日は防災を考える日です....」と市からのお知らせ。
そう、今日は11日です。東日本大震災の月命日。そして、同じ金曜日。5年8か月が過ぎました。
3月10日、東京大空襲の日、そして陸軍記念日が誕生日だったヨコミー。その10日は所用でお休みで、前日、職場の仲間からお誕生会をして頂きました。確か、昼休みだったはず(^_^;)
そして出勤した11日、平穏に午後2時半を過ぎて間もなく、今まで経験したことがない激震に襲われたのです。
そういう訳でもないのですが、今日は旧・石巻市立大川小学校を見に行く予定でした。
丁度小雨で、同校裏山も濡れているだろうし、再びあの地に立って、ヨコミーが校長なら、教頭なら、主任の先生なら......と、脳みその無い頭を、いろいろと絞ってみたかったのです。
旅行パターンは、鳴子峡へ行ったのと同じパターンで、一工程(この字でいいです(^_^;)6時間半。老母をデーサービスへ送り出してからの、出発予定でした。
なのに、母は今日は行かぬと(>_<) なんだべねぇ...。
母は口が悪いのです。なんせ、ヨコミーの母親ですから(*^_^*)
デーから帰ってきて、よく、「丸々さんはいつも寝てばかりいる...」と、デー仲間の悪口を言うことがあります。
母は、割と元気でしたし。まあ、口が一番元気(^_^;)
昨日はデーで検診があり、予定外の出勤(!?)だったために疲れ、今日は行く元気が無かったのでしょう。
息子にしてみれば、デーに行って寝ていたらいいべに.....と思うのですが、寝てばかり居るデー仲間をけなしていた手前、行く訳には行かないのでしょうね。
老母さま、他人には他人のご都合があるのですよ(*^_^*)
ヨコミー思うに、その方は、家族が特養に入れたいと思っているけど空きが無く、ショートさえも難しく、仕方なくデーで繋いでいる方かもしれません。
我が老母さまは、まだまだお勉強が足りないようなので、卒業は更に先のことでしょう(^_^;)
前置きが長くなりました。すみません。
まあ、東日本大震災の月命日絡みでという訳でもありませんが、地域を離れている方や、まだ関心を持たれている方に向けて、先月の写真になってしまいましたが、ご紹介します。
復旧工事は、どこでも急ピッチで進められていますが、見た目には地道な進捗状況なので、お許し願いますm(_ _)m

10月14日は所用があり、午後から陸前高田市のキャピタルホテル1000へ行って来ました。
このホテルは、震災前は、海水浴場から500mほど離れた、国道45号の南(海)側に建っていました。
その昔は、月毎に各国の料理の夕食会が開かれ、以前住んでいた鹿折からは車で30分の距離のなので、ヨコミーも時々行ったものです。
陸前高田市出身の歌手・千昌夫が出資して建てた(「千」=1000)のですが、その後経営不振に陥り、第3セクターになっていました。
15年間程、岩手日報(隣県の新聞)の読者でしたが、経費削減で購読を止めてしまったので、現在も3セクか否かは不詳(-_-)
大津波で被災した上に、離れていた海が敷地脇まで押し寄せ、湖岸の宿ならぬ、波飛沫に洗われる宿となってしまいました(>_<)
今は北側の小高い丘の上です。
この丘から、復旧工事が進む陸前高田市の沿岸部をご紹介します。

ホテルの裏側から。真東は写真左端。
中央に見えるリゾートホテルのような建物は、市営住宅です。多分、震災後に建てられた災害公営住宅でしょう。
丘の左端にちょっとだけ見える建物は、震災前からあった老人施設。手前に広がるビニールハウスでは、何を作っているのでしょうか。
右奥に見えるのは広田半島で、山は仁田山(にだやま)。オートキャンプ場があります。
右端に見えるのは、被災した国道45号沿いの雇用促進住宅。ここは、あとで。

ホテルの表側から。正面の旧・雇用促進住宅が凡そ南南東。盛土があちこちに見えます。

1つ上の写真の、中央付近を拡大してみました。中央に見えるのは水門。上の海と似た色なので、判別は難しいですが、水門の右手に巨大堤防が伸びています。
旧・雇用促進住宅の2階から右に見えるのは.....、こんなところに大きな沼が有ったっけが...???と思っていたら、現場を覆う壁でした(^_^;)

2つ上の写真の右隣です。中央やや左が真南。左上の岬は唐桑半島。中央から右手の山を越えると、ヨコミーが住んでいた気仙沼市鹿折地区です。
堤防が左右に走っていますが、真ん中から左は盛土の陰になっています。

更に右側です。中央が西南西。
遠くに靄が掛かっているようなのは、春霞ではありません。10月です。空気は澄んでいるはずなのに.......。そう、土埃(>_<)
中央から右に広がる土地は何なのでしょう。
あっ、ここでも発見です。防風(防砂?)ネットが一部まくられています(>_<) ヨコミー宅裏と同じ(^_^;)
防砂ネットでも防球ネットでも、張るための製品なのですが(>_<)

更に右隣です。
何か不思議な広場だなぁと思ったら、ひょっとしたら写真右上の高台にある、県立高田高校の代替グラウンドかも。同校校庭には、確か仮設住宅がありましたので。
この方向、震災前は、国道45号の北側に広がる住宅地や、JR大船渡線陸前高田駅、商店街、市役所、市民会館等がごちゃごちゃと在りましたのに......(>_<)
震災前に映画館はつぶれていましたが、当時、既に気仙沼の映画館は全て無くなり、最寄りの映画館がここでした。
駐車場が小さいので、車は市民会館に何度もお世話になりました(^_^;)
確か「十五番」といった喫茶店が駅前通に。デートコースでした。
そして市民会館に近い角にあった、明るい喫茶店。チョココーヒー??とかいう美味しい飲み物がありました。今はどこに行ったのかな.......。

1つ上の写真の、中央から右手半ば辺りまでの拡大です。あちこちで土埃が舞っています。
平地の奥、山の麓の工事ですが、なにやら怪しいです。水平に延びています。ひょっとしたら、市街地の西から北を通る三陸道の工事かもしれません。気仙沼市唐桑の北部で沿岸に出るコースなので、ここに続きそうです。

更に左隣です。山を3箇所崩しています。やはり、真っ直ぐなものを作っているようです。
市街地の西側を流れる気仙川は、麓の手前を右から左へ流れているのですが、堤防のためか見えません。

更に左隣です。
左端に見える三角の建物は、道の駅のタピック45。国道45号の南(海)側にありました。被害から直ったのかなぁ.....。

更に左隣です。
左端は、気仙川の川口に隣接する水門です。
東西に走る高田松原の後背地には、凡そ東西に広がる、確か古川沼という沼があり、ヨコミーは小さな時、そこでボートに乗った記憶があります。その沼の水位を守る水門でしょう。
沼の北側は埋め立てられ、県立野外活動センター等が在りました。三角滑り台に似たタピックの向こうに野活の本館が、右にはテニスコート、左にはテント泊が出来る芝生が広がって、沼ではボートを漕いでいました。
そう、陸前高田市は岩手としては割と暖かく、「岩手の湘南」だったのでした(>_<)
あっ、背筋を伸ばしてコーヒータイムです。終わったら、昼食の後片付けです(^_^;)
では、つづく。(^_^)v
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